Inside Story

根底に流れるスピリット

Inside Story

根底に流れるスピリット

  1. HISTORY-02

技術と経験の積み重ねであるタイヤ作りのハードルを、iRCはときに、野心をも含んだ挑戦心で乗り越えてきた。
開発陣の情熱が実を結んだ、5つのストーリーを振り返る。

episode.2 Rapid growth

カリスマとの出会い

 仲間たちとともに現在のマウンテンバイクの基礎を創りあげた、 ジョー・ブリーズ、チャーリー・ ケリー、そしてトム・リッチー。 マウンテンバイク界のレジェンドと呼ばれる彼らには、共通点がもうひとつある。iRCが1981年に他社に先駆けて投入したマウンテンバイク専用タイヤRACER X-1を愛用していたということだ。

 1983年、フレームビルダーとして非凡な才能を発揮していたトム・リッチーとの出会いは、iRCにとって大きなターニングポイントだった。初めて会った彼は情熱に溢れ、タイヤに関するアイデアを驚くほどたくさん持っていた。ブロックは小さく、空気圧はうんと高めに──。彼の要求は、理屈でタイヤを構築する開発陣とはまるで発想が違っていたが、翌年にはRITCHEY QUAD(リッチー クォド)の名で製品化。と同時に、彼が固執した規格外の26×1.9サイズが1年もしないうちに主流となった事実に、カリスマの力を見せつけられたのだった。

 次にリッチーは、タイヤの肉厚を薄くすることを要求してきた。高い空気圧でも跳ねない特性を得るため、0.6㎜にしてくれというのだ。その数値目標は困難に思われたが、配合、口金、押し出しを総合的に見直し、開発陣は0.7㎜まで薄くすることに成功。聞く耳とそれをモノにする技術力で乗り切ってみせたのである。

 カリスマのアイデアはとどまることがなく、回転方向と横滑り方向の力の加わり方を解析したブロック配置、VFAパターンを独自に提唱。iRCはその後押しをする一方で、1986年のX-1 PROを皮切りに、彼の思想を取り入れたタイヤを独自に発表していった。

 ビーチクルーザーに端を発するマウンテンバイクは山から市街地へ、競技ではクロスカントリーとダウンヒルに二分されていく。

 クロスカントリーではバイク同様に軽量化が求められ、当時では最軽量440gのGEO-CLAWを投入。サスペンションが普及したダウンヒルバイクには、現在のスタンダードである極太の2.35サイズをいち早く取り入れた結果、iRCの競技用タイヤは広く存在を知られるようになったのである。

 日本国内での競技が盛んになると、フロントとリアとで設計が異なるダウンヒル専用タイヤの開発に着手し、後にMISSILEとして結実。GEO-CLAWにその技術を応用したCLAW-COMPは、デュアルコンパウンド設計のPiranha PROへと発展していった。

 モトクロスでつながった縁、カリスマとの出会い、開発陣の試行錯誤によって進化したタイヤとブランド──。1996年のアトランタ五輪で正式競技となり、日本、アメリカ、カナダ、スイス、イタリアの代表選手がiRCタイヤを履いて出場したMTBクロスカントリー。そこでの銀メダル獲得の偉業は、「iRC returns!」が本当の意味で結実した瞬間でもあった。

 余談ではあるが、当時のiRCのタイヤに使われていた赤いケーシングは、海外では「ラストカラー(RUST Color)」と呼ばれ、この色だけでiRCのタイヤと認知されるまでになっていた。